アフター・フォーエヴァー(おすすめアルバム他)

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アフター・フォーエヴァーの紹介で、前回はバイオグラフィーでしたが、今回は、ディスコグラフィー他を紹介していきたいと思います。

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①ディスコグラフィーとおすすめアルバム

2000年 プリズン・オブ・デザイヤー
2001年 デシファー
2004年 インヴィジブル・サークル
2005年 リマジン
2007年 アフター・フォーエヴァー

アフター・フォーエヴァーのオリジナル・スタジオ盤は上記の5枚しかなく、また外れのアルバムありません。

その中で、まず一番最初に聴いて欲しいのは何と言ってもサードのインヴィジブル・サークルです。

まず、コンセプトアルバムとして、変化や起伏に富んでいますが、統一感もあり、クイーンズライチの「オペレーションマインドクライム」やドリーム・シアターの「メトロポリス・パート2」と肩を並べる作品です。

また、フロールの歌唱もソフラノオペラティックな歌唱はもちろんのこと、普通の歌唱、またハイトーンでパワフルな歌唱、また小さな声でささやくような歌唱と様々な歌唱を歌い上げ、またそれが自然に統合できています。
これを聴かずして、何を聴くのだろう、これを聴かずして女性ヴォーカルのゴシック、シンフォニックメタルは語れないと思います。

また女性ヴォーカルのゴシックメタル、シンフォニックメタルファンのみでなく、女性ヴォーカルが一般的に好きな人や、フログレシッブ・ロックのファンにも聴いて欲しいと思います。

次におすすめは、ラストアルバムにして、セルフタイトルであるアフター・フォーエヴァーです。非常に出来が良く、曲の粒がそろっています。

他の3作も外れがないので、アルバムをそろえてみればどうでしょうか?

そういいながら、現在は日本盤がすべて廃盤になっており、輸入盤しか入手できません。
その点でも海外との日本との温度差を感じます。

②アフター・フォーエヴァーの残念な点

アフター・フォーエヴァーはヴォーカリストの歌唱力、名作アルバム、確かな演奏技術など、成功する要因が多いにも関わらず、ナイトウィッシュウイズイン・テンプテーションほどの成功を得られないうちに解散してしまった印象があります。その理由を私なりに考察してみました。

1)これといったキラーチューンがなく、また曲がキャッチーでない。インヴィジブル・サークルやアフター・フォーエヴァーなども、曲がもう少しキャッチーだったらなと思うことがあります。

2)2004年以降以降のメンバーチェンジや病気などのトラブルやレコード会社との関係悪化が尾を引いていると思います。

③解散後のメンバーの活動

1)フロール・ヤンセン

バンド解散後、一番早く動いたのがフロールでした。早速、彼女自身のプロジェクト、リバンプを立ち上げ、同じ元アフター・フォーエヴァーのヨースト・ファン・デン・ブリックの協力も得て、アルバム作成に取り掛かり、2010年にはセルフタイトルのアルバムを発表しました。

2012年の秋、ナイトウイッシュでアネッテが脱退すると、その代役にフロールに声がかかったため、残りのツアーに帯同し、その間リバンプの他のメンバーはレコーディングを続行し、2013年にはリバンプとしちのセカンドアルバム「ワイルド・カード」を発表しました。

2014年にナイトウイッシュの正式メンバーとなり、最新作のエンドレス・フォームズ・モスト・ビューティフルの作成に参加しました。

しかし、残念ながら、リバンプのファーストを聴いてみたところ、曲がいま一つで、印象に残る曲がありませんでした。かたやエンドレス・フォームズ・モスト・ビューティフルにおいては、彼女の歌唱力が今一つ生かされていないような気がします。

いまのところ、アフター・フォーエヴァー時代のフロールが一番輝いていたような気がします。彼女にはさらなる高みを期待したいところです。

2)サンダー・ホマンズ

バンド解散後、アマンダ・サマーヴィルというアメリカ出身の女性ヴォーカリストとHDKやトリリアムというプロジェクトをやっています。また、ラルフ・シーハンスやマイケル・キスクのアルバムにゲストで参加しました。

2018年7/20 追記

サンダーとアマンダ・サマーヴィルを中心にしたバンド、トリリアムの新譜「テクトニック」
が発表されました。
サンダーとアマンダ・サマーヴィルが行動を共にするようになった経緯および「テクトニック」
のレビューは以下の記事です。

トリリアム「テクトニック」

上記の記事を書いていて、なんとなくアフター・フォーエヴァーの解散理由が想像出来ました。
サンダー・ホマンズはシンフォニック・メタルよりむしろオーセンティックで普遍的なメタル
をやりたかったのだと思います。
サンダーは確かにリーダーだったですが、絶対的なリーダーではなく、むしろアフター・フォーエヴァーではできないことに関して、もどかしさを感じていたことでしょう。
シンフォニックな方向に進むフロールと音楽的な対立もあったことでしょう。

サンダーがアマンダを迎えて立ち上げたHDKの発足が2008年ですから、その時点でアフター・フォーエヴァーを存続させるより、自分自身の音楽の追及とアマンダとのパートナーシップを優先し、解散を決めていたと思います。
また、下世話な言い方ですが、フロールとアマンダの女の闘いがあったかもしれませんね。
解散の陰に女あり、と言えるかもしれません。

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