日本の女性ロックアーティストの歴史(60年代~90年代)

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次は我が日本の女性ロックアーティストの歴史を分けて説明したいと思います。

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①70年代以前

1)日本の女性ロックヴォーカリストの起源

日本の女性ロックヴォーカリストの起源、それは何と言っても、麻生レミでしょう。
ブルーコメッツのメンバーとしてデビューし、そのあとで、内田裕也とザ・フラワーズに参加し、ジャニス・ジョップリンやジェファーソン・エアプレインの曲をカバーし、そのソウルフルな歌唱から和製ジャニスと呼ばれました。
70年代の後半にはソロアルバムを出しました。

2)本格女性ロックヴォーカリスト、カルメン・マキの登場

1969年、「時には母のない子のように」でデビューしたカルメン・マキは、70年代にはいるとロックに転向し、近田春夫や竹田和夫らと活動しました。
次第にロック的な歌唱を身に着け、1972年にOZを結成し、1977年まで活動します。

自分でバックバンドを結成し、バンドをバックに歌うという意味で、本格女性ロックヴォーカリストの走りと言えましょう。

②80年代

80年代こそ、日本のロックミュージックがロックミュージックとして認知されだしたときで、それを反映して有力な女性ロックヴォーカリストも多く出現し、シーンを牽引しました。
それにより、日本でも女性ロックヴォーカリストが認知され市民権を得るようになりました。
まさに、80年代こそ、女性ロックの創成期といえましょう。

80年代はロックシーンにおける女の時代と言われていますが、日本でも例外ではありません
それでは、以下に具体的に述べてみたいと思います。

1)ガールズバンドの草分け

まずはじめにランナウェイズの影響をうけたGIRLSが1976年にデビューしました。
このバンドは短期間で解散してしまいます。
80年代にはいると、ZELDA少年ナイフがデビューしました。
この二つのバンドこそ、ガールズバンドの草分けと言えます。

2)満を持して浜田麻里、SHOW-YA登場

80年代にはいると、日本でも、日本によるHR/HMが認知されだしました。
その中で、1983年に浜田麻里が、1985年にSHOW-YAがメジャー・デビューしました。
日本のHR/HMシーンにおいて、女性ヴォーカルのHR/HMバンドの歴史はその時点を起点に本格化していきました。

浜田麻里とSHOW-YAこそ、日本でのHR/HMの女性ヴォーカルの元祖であり、牽引者であることを疑う人はおそらくいないのではないのでしょうか?
ちなみに、浜田麻里もSHOW-YAもいまだに現役で活動中です。

また、ソロボーカリストでは浜田麻里に続けという感じで、本城未沙子、早川めぐみ、橋本みゆきが、デビューしました。

沖縄では喜屋武マリー率いるMarie with MEDUSAが活動を始めました。また赤尾和重擁する様式美HR/HMバンドTERRA ROSAも、様式美HR/HMバンドファンの間では高い評価を獲得していきました。

3)バンドブームと女性ヴォーカリスト

80年代も後半になると、バンドブームとなりました。
そのなかから、カールズバンドとしてプリンセス・プリンセスGOーBANGSなどがメジャーデビューし、お茶の間まで浸透していきました。

また三宅裕司のいかすバンド天国のブームから、ピンク・サファイヤやThe 5.6.7.8’sが出現しました。

また、レベッカリンドバークパーソンズのような、ヴォーカルのみ女性のバンドも続々デビューし、人気を博しました。
そのようなことから、女性ロックヴォーカルシーンは活況を呈する様になりました。

4)日本のプログレバンドと女性ヴォーカル

80年代にはいると、日本でもノヴェラのデビューを皮切りに、マイナーながらプログレバンドが美狂乱、ジェラルド、アインソフ、ケンソー、アウターリミッツなど続々デビューしていきました。

その中で、ページェントを経て、ミスターシリウスに在籍した永井博子と、マダレーナからテルズシンフォニアに在籍した徳久恵美はその歌唱力において高い評価を受けました。

②90年代

1)バンドブームの鎮静化とHR/HMシーンの低迷

90年代にはいり、バンドブームの鎮静化し、またそれを反映して、メジャーシーンに食い込むようなガールスバンドも出現しませんでした。

一方、HR/HMシーンに目を向けてみると、ラウドネスの度重なるメンバーチェンジ、アンセムやバウワウの解散といったネガティブな話題が続きました。
それに、追い打ちをかけるように、1991年にSHOW-YAから看板ヴォーカリスト寺田恵子が脱退します。
SHOW-YAは新しいヴォーカリストを迎えて活動を継続していきますが、次第に失速し解散してしまいます。
もう一方の巨頭である浜田麻里もHR/HMから離れポップ化し、人気も次第に低迷していきました。

全体的に、女性ヴォーカルのHR/HMもガールスバンドも冬の時代となりました。

しかし、女性ヴォーカルロックもまったく死にたえたわけでなく、ポップ系でジュディ・アンド・マリーやヒステリック・ブルーなど活躍していました。

2)日本のプログレバンドと女性ヴォーカル

90年代にはいると、女性ヴォーカルを擁するバンドとして、北海道を拠点とするプロビデンスと、いまや日本のHR/HMの女性ヴォーカリストの3本の指に入る世良純子擁するマージリッチがデビューしました。

また、美貌のキーボードプレイヤー熊谷桂子を中心とした女性だけのインストプログレバンドアルスノヴァもワールドデビューを果たしました。

プログレバンドに関しては低迷どこか、進化していきました。

3)ガールズバンドの海外進出

また、90年代の特筆するべき動きとして、日本ではそれほど売れないガールズバンドが、海外に進出して人気・評価をえたということです。

まず少年ナイフがパンクをベースにした音楽性ということで、90年代当時グランジ・オルタナが主流となっていた海外で受け入れられました。
特にニルヴァーナのカート・コーバンが少年ナイフのことを気に入り、ツアーに帯同してもらったということです。

また、アルスノヴァは、日本では100人キャパのライブハウスでしか演奏できないほどの人気の低さですが、海外ではプログレフェスタに出場し、大御所バンドと対等に支持を集めています。

またリーダーの熊谷桂子は、オランダのルカッセン主催のプロジェクトの起用されたほどです。

日本の女性ロックアーティストの歴史(00年代以降)に続く


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