映画「ボヘミアン・ラプソディー」の感想

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話題の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見にいきましたので、その感想などを書いてみたいと思います。
内容は、伝説のバンド「クイーン」の伝記映画で、フレディ・マーキュリーに焦点をあて、結成から1985年のライヴ・エイド出演までを描います。

①全体的な感想

クイーンについては、70年代、80年代のリアルタイム世代ということもあり、またオリジナル・アルバムはほとんど所有していて、彼らのアルバムや曲はほとんど知っていましたので、それほど新しい発見や感動はないだろうと思っていました。

しかし、レコード契約やマネージメントの裏側のこと、フレディの私生活のことをほとんど知らなかったため、初めて知ったことが多く、刺激になり、また感動しました。

フレディの恋人であったが、別れてからも親友としてフレディをささえたメアリー・オースティン。マネージャーとしてクイーンを見出し育てたのジョン・リード。またフレディをいかがわしいゲイ・パーティの道に誘い、メアリーとの離別やメンバー間の不和の原因となり、フレディをソロで独立させようと画策した、悪徳な付き人であるポール・プレンター。フレディの最終的な恋人であったジム・ハットンなど、初めて知りました。

また、スターダムに上っていくにつれ、メアリーと離別し、また他のメンバーともぎくしゃくしはじめ、また自分がゲイであることに関して、フレディの苦悩や孤独が強く描写され、それがかなり印象に残りました。

逆に言えば、クイーンのことを知らなくても、ロック音楽に興味を持っていなくても、それなりに楽しめ感動し、泣ける映画であると思います。

2回、3回と見ているリピーターが多いと聞き、見る前は信じられませんでたが、実際見てみて納得しました。

一番泣けてきたシーンは、メアリーの助言により、フレディにとってソロよりクイーンの方が大切だと悟って、バンドメイトに謝罪し、なおかつ自分はエイズだといことをカミングアウトし、その結果4人で抱擁し、バンドとしての結束が戻ってきた所です。

②メアリー・オースティンについて

メアリーとフレディは70年の初頭に知り合い、恋人として付き合い初め、やがて同棲するようになりました。
しかし、1975年ごろ、おかしいと気ついたメアリーからの追及に対し、フレディはバイセクシャルであることをカミング・アウトし、それで破局となりました。

しかしその後も親友として、お互いに理解しあい、信頼しあい、ささえあったことが、いい話だと感動しました。

あとから調べた話ですが、フレディの死後、遺言により、莫大な遺産の大半をメアリーに相続させたという話です。

フレディによると、「もしなにごともなければ、メアリーが自分の妻になっていた」とのことですが。
また、フレディが住んでいた家もメアリーが相続し、今現在でも、彼女は彼女の子供とその家に住んでるとのことです。
やはり、メアリーの心のなかで、フレディは今でも生き続けているのでしょう。

また、フレディ作曲の屈指の名バラード「ラブ・オブ・マイ・ライフ」はメアリーに対する愛情(または離別の悲しみ)を歌った曲であり、その曲が歌詞とともに出る所は、泣けてきました。

③ロックファンとしての見どころ

やはり、ロックファンとして、感じた見どころは、やはり全編にわたってクイーンの名曲の数々がフィーチャーされていることでししょう。
デビュー曲の「キープ・ユアセルフ・アライブ(邦題:炎のロックンロール)」のライブ・シーン。
24トラックのマルチ・トラック・レコーダーを用いた「ボヘミアン・ラプソディ」のレコーディング過程。
ブライアンが、フレディの遅刻にいらいらした結果、いきなり他のメンバーとリズムをとって生まれた「ウィ・ウィル・ロック・ユー
ジョン・デーコンがいきなりベースパートを引き始めることによっていまれた「地獄へ道づれ」など、興味深いシーンがいろいろ出てきました。
個人的に欲をいえば、ブライアンの三味線ギターが光る「ブライトン・ロック」(シアー・ハート・アタックの一曲目)もフューチャーして欲しかったです。

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