フリートウッド・マック バイオグラフィー(結成から70年代前半)

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ひととおり、日本のプログレを記述しましたので、いよいよ女性ロックアーティストの草分けともいえる、70年代の女性ロックアーティストを紹介していきたいと思います。

まず初めは、60年代後半にブルース・ロック・バンドとしてデビューし、70年代中盤にスティーヴィー・ニックスが加入し、アダルト・オリエンティッドなポップ・ロックにガラリとかえて、大成功を収めたフリートウッド・マックについて紹介します。
今回は主にスティーヴィー・ニックス加入までのバイオグラフィーを紹介します。

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①はじめに

私が、フリートウッド・マックのことを知ったのが、ロック音楽に興味を持ち始めた、中二の時でした。
中三の時、ある同級生の女子がフリートウッド・マックのファンであることを知りました。
その人は、スラリとスマートで、目鼻立ちがはっきりしていて、英語が得意な女子でした。
そのような人がフリートウッド・マックのファンになるぐらいだから、きっとフリートウッド・マックってセンスのいいバンドなんだろうな、一度聴いて見たいと思いました。

それから、数年たち、予備校時代の時、私は予備校の寮にいました。同じ寮の仲間で、お互いロックファンで(特にハードロック)、テープの貸し借りをしていました。
その時のある借りたテープの終わりのほうに、(たぶん消し忘れ)、フリートウッド・マックの曲が三曲入っていました。
不朽の名作「噂」に入っていた、「ネバー・ゴーイング・バック・アゲイン」、「ドウント・ストップ」、「オウン・ウエイ」です。
その時まで、フリートウッド・マックを聴いたことが無かったのですが、直感的にフリートウッド・マック曲だとわかりました。
いまでも、「噂」を聴くと、予備校の時、同じクラスで好きだった女子のこと。また予備校にも拘わらずそのクラスは男女問わず和気藹々であったことなどを思い出しますね。

②バイオグラフィ(スティーヴィー加入まで)

1)ピーター・グリーンによる結成~ブルースロックバンドとしての活躍

1967年、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ(そう、かのエリック・クラプトンもここの卒業生)のメンバーであった、ピーター・グリーン(ギター)とミック・フリートウッド(ドラムス)を中心に結成されました。
まもなく、ジョン・マグビー(ベース)、ジェレンミー・スペンサー(ギター)が加入し、メンバーが固まりました。
当時、イギリスでブルース・ロック・ムーブメントととなっていまして、その流れに乗り、活動を活発にさせていきました。

1968年2月に「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック」をリリースし、同年8月に「ミスター・ワンダフル」をリリースしました。
まもなく、サード・ギタリストとしてダニー・カーワンが加入し、当時としてはめずらしい、トリプル・ギターの編成となりました。
同年シングル「アルバトロス」を発表し、翌1969年に全英チャート一位を記録し、同年、サード・アルバム「ゼン・プレイ・オン」を発表しました。

2)相次ぐメンバーチェンジによる過渡期

まず、1970年にリーダーのピーター・グリーンが精神疾患となり、バンドを離れます。
その後、ジェレンミー・スペンサーがイニシアティブをとり、4THの「キルン・ハウス」を発表しました。
しかし、スペンサーもドラッグ中毒となり、脱退してしまいます。

スペンサーの後任として、ジョン・マグビーの妻で、元チキン・ジャックのクリスティン・マグビーとアメリカ人ギタリストであるボブ・ウエルチが加入します。その時点では、ダニー・カーワンが音楽的を握り、1971年「フューチャー・ゲーム」1972年には「枯れ木」を発表します。
音楽性もブルース色が後退し、ロック色が強くなってきます。
しかし、ダニー・カーワンも神経衰弱により、脱退を余儀なくされます。
その後、ボブ・ウエルチが音楽的な主導権を握り、3枚のアルバムを発表します。
1974年、バンドはこれからの活動をアメリカ中心にするため、カリフォルニアの拠点を移しましたが、その直後に、ボブ・ウエルチが脱退してしまいます。


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