オール・アバウト・イブ バイオグラフィー

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今回は、ゴシックロックの人脈の中でデビューしましたが、次第にプログレファンからも人気を集めるようになった、美貌の女性ヴォーカリスト、ジュリアンヌ・リーガン擁するオール・アバウト・イブについて紹介します。
そこで、今回の記事は主にバイオグラフィーを紹介していきます。

①はじめに

オール・アバウト・イブに関しては、80年代末から90年代初頭のリアルタイム時にはその存在すら知りませんでした。
2002年にロックリスナーに復帰し、フィメールゴシックや女性ヴォーカルのプログレに
興味を持った過程で始めて知りました。

フィメールゴシックや女性ヴォーカルのプログレバンドの紹介に、よく引き合いにだされるオール・アバウト・イブってどんなアーティストかなと興味をもちました。

2006年にDVD付きのベスト盤である「Keepsakes」を購入、更に2015年にリマスターされたオリジナル・スタジオ盤(残念ながら輸入盤でありますが)を購入し、聴いて見た次第であります。

②バイオグラフィー

1)ジュリアンヌの生い立ち~デビュー

1962年6月30日、イングランド中部地方の労働者階級の家庭に生まれた、ジュリアンヌ・リーガンは、成長するにつれ音楽に親しむようになりました。

19才の時、ロンドンに上京しました。大学でファンションを学ぶ傍ら、音楽雑誌の編集者として活躍していました。

まもなく、ジーン・ラヴズ・ジザベルにベーシストとして加入するが、方向性の違いなどで脱退してしまいます。

そして、ジュリアンヌは自身のバンドを結成しようと心に決め、大学の友人であるミッシャル・イー・チェンよりティム・ブリッチェノを紹介され、また、親しい友人でもあったマヌエラ・ツバインマンとともにスワームというバンドを結成。

そして、マヌエラと「オール・アバウト・イブ(イブの総て)」という古典映画をみたジュリアンヌは、その映画にすっかり魅了され、バンド名をオール・アバウト・イブに変更しました。

そして、1985年、インディーズのレッド・ライノから「D For Desire」でデビューしました。
しかし、ジュリアンヌと不仲となったマヌエラは脱退し、代わりにティムのアートスクール時代のアンディ・カズンがベースとして加入します。

まもなく、ジュリアンヌはミッションウエイン・ハッシーと知り合い、ミッションの新曲のバックコーラスに参加します。それで以降も、ミッションとともにテレビにも出演し、ミッションから機材も借りることとなりました。

ジュリアンヌはミッションと行動を共にすることにより、ミッションのメンバーである
サイモン・ヒンクラーと恋仲となりました。

結局、オール・アバウト・イブは同じマネージメントに入り、契約するレーベルもミッションと同じとなりました。

そのことは、オール・アバウト・イブの成功のきっかけとなったが、同時に、オール・アバウト・イブがミッションと同じゴシック・ロックバンドとしてカテゴライズされることとなり、後に大きな足枷となります。

特にティム・ブリッチェノはそれを快く思っていませんでした。

そして、シングルを次々と全英チャートに送りこみ、1989年には、それらの曲を網羅したデビュー・アルバム「オール・アバウト・イブ」(日本語タイトル イブの序曲)は元ヤードバーズのポール・サミュエル・スミスのプロデュースということもあり、チャートでは、全英7位と健闘しました。

また、それに伴うツアーも盛況となり、特にロイアル・アルバート・ホールでのライブは、あの伝統にある会場が、盛り上がったファンの紙吹雪に覆われたということです。

2)ティム・ブリッチェノの脱退~解散

その頃になると、ジュリアンヌはサイモンと破局し、なんとティム・ブリッチェノと恋仲になってしまいました。
しかし、その恋もながくは続来ませんでした。

1990年、ドラマーに正式メンバーとして、マーク・プライスを迎え、最高傑作の呼び声がたかいセカンド・アルバム「シークレット・アンド・アザー・ストーリー」を発表しました。

しかしその直後、ジュリアンヌとティムの破局が決定的となり、それがもとでティムが脱退してしまいます。

バンド結成時からのメンバーでメインソングライターでもあったティムの脱退で、バンドは存続の危機を迎えます。

3)人気の下降~解散

後任にThe Churchのマーティン・ウイルソン・パイパーを迎え、1991年、サードアルバム「タッチ・バイ・ジーザス」を発表しました。

いままでの音楽性から打って変わって、ポップで浮遊感のある作品となっています。

ちなみにシングル曲「ストレンジ・ウェイ」はティムとの離別を歌った歌で、「奇妙なやり方であなたは私を愛した」と切なく歌っいます。
また、「フェアウェル・ミスター・ソロウ」も「さようなら、悲しみのミスター・ソロウ、明日は私のものよ」と、やはりティムとの離別を歌っています。

また1992年に4THアルバム「ウルトラバイオレット」はサードの傾向を更に推し進め、ジュリアンヌのヴォーカルもウイスパー・ヴォイスとなり、かなりアンビエントな作品となりました。

当然、ファースト、セカンドのファンは離れ、セールスは最悪となります。

それで、翌年の1993年に解散しました。

③伝説の美少女ジュリアンヌ・リーガン

オール・アバウト・イブ解散後のジュリアンヌの足取りについてはあえて書きません。

なぜか?私としては、ジュリアンヌをして、不毛であった80年代から90年代初頭にかけて咲いたきらめく美しい一輪の花。ロンドンの裏路地にひっそりと咲く妖花。つまり伝説の美少女として取り扱ってききたいからです。

ジュリアンヌは、アン・ウィルソン(ハート)やクリッシー・ハインド(プリテンダーズ)
のような、運命を自ら切り開くような強い女性でなく、どちらかというと、運命に翻弄されるはかない女性であり、多分キャラクターも内気で感受性の強いタイプだと思います。(このような所がプログレファンにうけるのでしょうね、きっと)

現在、ジュリアンヌは一般企業のOLをしていて、たまに散発的にライブを行う程度です。

つまりもう一般人といっていいぐらいです。

ジュリアンヌの足取りを追いかけるのはやめましょう。
そっとしてあげましょう。

オール・アバウト・イブ おすすめアルバムに続く

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