スージー・アンド・ザ・バンシーズ バイオグラフィー

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いままで、主に日本での現代女性ヴォーカル・メタルを紹介してきましたが、今回からうって変わって、パンク・ニューウエイブ系の女性アーティストについて紹介します。

まずは、パンク畑からデビューして、次第に独自の呪術的なサウンドの生み出し、ゴシック・ロックを代表するバンドの一つとなり、のちにエヴェネッセンスなどのゴシック・メタルなどに大きな影響を与えたスージー・アンド・ザ・バンシーズについて紹介します。

そこで、今回の記事は主にバイオグラフィーを紹介していきます。

①はじめに

70年代末のリアルタイム時においては、当然名前は知っていましたが、パンクという触れ込みだったため、またスージーのメイクがなんとなくゲテモノに見えましたので、聴こうという気はなれませんでした。

しかし、現在はゴシックメタルにも影響を与えたゴシック・ロックの女王という評価でありますので、重要な女性ヴォーカルバンドの一つとして、CDを購入して聴いて見ようと思った次第です。

②バイオグラフィー

1)結成~デビュー

1976年に、セックス・ピストルズの親衛隊であったスージー・スー(ヴォーカル)とスティーヴ・セヴェリン(ベース)を中心に結成されました。まもなく、ドラムのケニー・モリスが加入しました。

ギターは、最初は流動的でしたが、元マガジンのジョン・マッケイが参加し、バンドとしての形が整い1978年にデビュー・アルバム「香港庭園」をリリースしました。

そのころはまだストレートなポスト・パンクサウンドで、まだオリジナリティーも確立していませんでした。
翌年の1979年にセカンド・アルバム「ジョイン・ハンズ」を発表するも、ジョン・マッケイとケニー・モリスが相次いで脱退するという危機に見舞われます。

2)独自のゴシックサウンドの確立

そこで、まず、後任のドラムはのちにスージーのパートナーとなる元スリッツのバッジー(Budgie)が参加し、1979年の暮れに元マガジンのジョン・マッギオークがギタリストとして参加します。

凄腕で音楽的な才能あふれたバッジーとジョン・マッギオークの加入により、バンドとしてもレベルアップします。その結果、単なるポスト・パンクバンドの一つから抜け出し、独自の呪術的なサイケデリックサウンド、すなわち繊細で耽美的でなおかつ攻撃性のあるゴシックサウンドを構築することになります。

1980年にサードの「カレイドスコープ」を発表します。アルバムチャートは全英5位、シングルカットされた「ハッピー・ハウス」は全英20位を記録します。
まさに「カレイドスコープ」の通り、ポップでカラフルな感じのアルバムです。

1981年に「呪々」を発表します。タイトル通りの呪術的で、暗く激しく、いかにもゴシックサウンドです。また、1982年に同路線の「キス・イン・ザ・ドリームハウス」を発表し、この時点で、独自のゴシックサウンドが確立されたと言っていいでしょう。

しかし、ジョン・マッギオークがストレスやプレッシャーによる神経衰弱で、ツアー中に倒れ、そのまま脱退してしまいます。

後任にはキュアーのロバート・スミスがサポートとして参加します。
1984年「ハイエナ」をリリース。まもなく、ギターにジョン・カルチャーズが参加し、
1986年にオリジナリテーの残したまま、より普遍的で硬質なサウンドの「テンダー・ボックス」を発表します。

3)より普遍的なロックへの変化~解散

1987年にカバーアルバム「スルー・ザ・ルッキング・グラス」を発表します。
その頃から、よりスージーのヴォーカルを生かすような普遍的なロックへ音楽性をシフトしていきます。

1988年にギターがジョン・クラインに代わり、またマーティンマッカリック(キーボード、チェロ)が加入することにより、サウンドの幅が広がり、キーボードや弦楽器、ボーンセクションなどが多用されるようになりました。

同年「ビープ・ショウ」を発表。1991年に「スーパースティッション」を発表します。

その後まもなくスージーとパッジーは結婚し、南フランスに移り住みます。
そのころから、スージーとパッジーのユニットであるクリーチャーズを活動のメインとし、バンシーズとしても活動は次第に少なくなってきます。

1995年にラスト・アルバム「恍惚~ラプチュアー」を発表し、1996年に解散します。

2002年に一度再結成ライブを敢行しましたが、2007年にスージーとパッジーは離婚し、
その後、音沙汰がありません。

スージー・アンド・バンシーズ おすすめアルバムに続く

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