ジェファーソン・エアプレイン

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新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、栄えある2019年の初めの紹介は、グレース・スリック擁するジェファーソン・エアプレイン~スターシップで決めたいと思います。

ジェファーソン・エアプレイン~スターシップは歴史が長く、またバンドの派生関係も複雑なので、まず概要から説明していきたいと思います。

①概要

(1)ジェファーソン・エアプレインは1965年にマーティ・バリン、ポール・カントナーを中に結成され、1967年にグレース・スリックが加入。1971年にマーティ・バリンが脱退し、1973年に解散しました。

(2)1970年に結成したポール・カントナー、グレース・スリックを中心にしたプロジェクトを母体として、1974年にジェファーソン・スターシップを始動。マーティ・バリンが復帰しました。またセールス的に成功して、アメリカを代表するバンドとなりましたが、1979年にグレース・スリック、マーティ・バリンが脱退し、代わりにミッキー・トーマス加入し、ハード・ロック路線となりました。

(3)1984年にポール・カントナーがジェファーソン・スターシップを脱退し、その結果ジェファーソン・スターシップはスターシップと改名します。ミッキー・トーマスの存在感が増し、またレコード会社の要請もあり、ポップロック路線となります。このミッキーを中心とするスターシップは1990年まで続きました。

(4)ポール・カントナーは、ジェファーソン・スターシップを脱退後、自身のバンドで活動していましたが、1989年かつての仲間とともに、ジェファーソン・エアプレインを再結成し、グレース・スリックも合流しました。

アルバムもチャートにのり、ライブも盛況となるなどある程度成功しましたが、まもなく瓦解しました。(グレース・スリックは、これを機会に、事実上音楽業界を引退しました

(5)1992年にポール・カントナーを中心に、Jefferson Starship-The Next Generationとしてジェファーソン・スターシップを再結成し、1993年にマーティ・バリンも合流し、メンバーチェンジを繰り返しながら活動していましたが、2016年にポール・カントナーが死去。2018年にマーティ・バリンも死去しました。しかし、解散はしていないようです。

(6)一方でミッキー・トーマスが自己のバンドをStarship featuring Mickey Thomasとしてスターシップと改名。現在も活動を続けています。

(7)すなわち現在ではポール・カントナーを中心としたジェファーソン・スターシップ(Jefferson Starship-The Next Generation)とミッキー・トーマスを中心としたスターシップ(Starship featuring Mickey Thomas)が存在し、それぞれ全く別のバンドとして捉えるのが妥当であります。

なお、当ブログの主旨として、ジャニス・ジョップリンとともに、女性ロックアーティストの草分けといえるグレース・スリックに焦点をあてることにします。

従って記述も1980年代までとし、1990年以降は省略させていただきます。

②ジェファーソン・エアプレイン バイオグラフィー

(1)結成~グレース・スリック加入

ポップスシンガーとして活動していたマーティ・バリンとフォーク・シンガーとして活動していたポール・カントナーが、1965年にサンフランシスコで出会い、そこからジェファーソン・エアプレインが結成されました。

ポールの知り合いであるヨーマ・カウコネンをギタリストとして迎え、女性ヴォーカリストにシグニー・アンダーソン、もちもとギタリストであったアレックス・スキップ・スペンスをドラマーとし、さらにヨーマの紹介でジャック・キャサディをベーシストとして迎え、1966年に「テイクス・オフ」でデビューしました。

しかし間もなく、シグニー・アンダーソンが子育てに専念するために脱退。また、アレックスも本業であるギタリストに戻るため脱退しました。
そこで、1967年にシグニーの代わりとなる女性ヴォーカリストとしてグレート・ソサイティからグレース・スリックを迎え入れました。

(2)全盛期

グレース・スリックの加入はバンドに一大飛躍をもたらしました。名作「シュールリアルスティック・ピロウ」を発表し、アルバムから「あなただけを」、「ホワイト・ラビット」の大ヒットが生まれました。
そして、1967年のモンターレ・ポップ・フェスティバルで一躍、全米にその名を広めました。
1968年に入ると、独創性を発揮しだしたポール・カントナーのリーダーシップや他のメンバーの台頭もあり、それがバンドを押し上げる原動力となり、人気がピークに達しました。

1969年、ウッドストック・フェスティバルに出演するころには、ベトナム戦争が泥沼化し、バンドは反体制の象徴となり、次第にバンドの中心はマーティ・バリンから政治的なメッセージを発するポール・カントナーとカリスマ性に磨きをかけたグレース・スリックになっていきます。

(3)バンドの空中分解~解散

1970年にはいると、よりパーソナルな音楽活動を望むカウコネンとキャサディはホット・ツナの原型をスタートさせ、またポールとグレースは後のジェファーソン・スターシップの原型となるプロジェクトを発足します。

1971年には、バンドの創始者であったマーティが脱退。

また、RCAとの契約期間が終了したバンドは、自分達のインディペンデント・レーベル「GRUNT(グラント)」を設立して「バーク」、1972年には「ロング・ジョン・シルバー」を発表しましたが、次第に各々のソロ活動が活発化し、1973年にエアプレインは正式に解散しました。

③ジェファーソン・エアプレイン ディスコグラフィー

(1)スタジオ・アルバム

1966年 テイクス・オフ
1967年 シュールリアリスィック・ピロー
1967年 アフター・ベイジング・アット・バクスターズ
1968年 創造の極致
1969年 ヴォランティアーズ
1971年 バーク
1972年 ロング・ジョン・シルヴァー

(2)ライブ・アルバム

1969年 フィルモアのジェファーソン・エアプレイン
1973年 サーティ・セカンズ・オーヴァー・ウィンターランド

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